手紙を書くと自分のなかでなにかがリセットされるような感覚があるな、と気づいたのは、お寺で修行をしている友人に何通目かの手紙を書いていたときだった。大阪出身で、後に博多に住んでいた彼と仲良くなったきっかけはうまく思い出せない。おそらく共通の趣味を通じて知り合い、たまたま波長が合ったのか、東京と博多という距離がありながらちょくちょくお互いの地を訪れて、ともに時間を過ごした。
多分大名の居酒屋だったかな、
それとも月島でもんじゃを食べたとき? 彼はふと「修行するんだ。3年弱くらい」と口にした。修行? 一瞬なにを言っているかわからなかった僕は、
それでも彼の実家がお寺であること、
彼が長男であることを思い出してなんとか自分を納得させた。「
携帯とか没収されるらしいんだよ」「だから手紙を書いてほしい」
「こちらからも書けるはず」
そんなわけでそこまで頻繁ではないものの、
僕は一ヶ月から一ヶ月半に一度くらいのペースで手紙を書くように
なった。返事のような形で、彼からも手紙が届く。
パソコンや
スマートフォンがここまで発達した世のなかで、
少しだけ取り残されたような、
それでもなにか悪くないような感じ。手紙を書いているあいだは、
相手のこと、相手にまつわることに思考が集約されていく。
そのことが自分のなかでなにかをリセットしてくれる。
いろいろなひととつながって、いろいろなものに取り囲まれて、
いろいろなことを考える自分が、少しのあいだ解き放たれて、
手紙を届けたい相手のことだけを考えるシンプルな心の動き。
お寺の友人は8月に一週間ほど下山することになったようで、先日届いた新しい手紙には日程が本決まりになったらまたここで伝えると書いてあった。元気にしているんだろうか。また返事を書こうと思う。
Prof.
好きなものはその時々でかわる。いつ訊かれてもあまりかわらないものはカレー。最近は無印良品のカレー。話題になったグリーンも美味しかったけれど、3種の唐辛子とチキンが好みだった。
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この友人、どうも身体を壊したようで、途中で下山する可能性が高いようだ。先日もらった手紙にそうあった。8月に少し会えるかもしれない。本人がいちばん悔しいだろうから、せめて話したいことはすべて聞いて、そのまま受け止めたい。