そうだ 松本、行こう。(イエローページ vol.8〔2020/10/25〕)

そうだ 京都、行こう。」ではないが、ふと思い立って長野県は松本市に一泊二日で訪れた。目的はカレーだ。なぜまた……と思うひとがほとんどだと思う。そのために少し記憶を辿りつつ、なぜカレーのために松本を訪れたのか書いてみたい。

もともとのきっかけは綱島に住んでいた職場の元同僚との会話だった。カレーが好きだという僕に、自宅付近に美味しいカレー屋さんがあるから来る? とのお誘い。それが「スープカレー ハンジロー」との出会いだった。素材から出る出汁のうまみとスパイスが絶妙に絡み合い、自分の乏しい経験上の話ではあるが、これまでに食べたことのない美味しさだった。
というわけですっかりハンジローにハマり折に触れて訪れるようになったのだが、ある日ハンジローは閉店してしまう。どうやら店主がご実家の安曇野に帰り、そちらで新たな店舗を構えるとのこと。寂しかったけど、こうした選択肢は充分にある話だし仕方がないとしかいいようがない。その後、店舗そのものは居抜きで別のスープカレー屋が引き継ぎ、それとは別にハンジローで修行をしたかたが自分の店を鶴ヶ峰にオープンし、ハンジローのイメージを引き継ぐこれまた美味しいスープカレーを提供するようになるのだが、それはまた別の話。

元来ひとり旅好きの自分は現在のコロナ禍でほとんど出歩けなくなり、だいぶストレスがたまっていた。ようやく少しずつ状況が変わり、ジレンマを抱えつつも旅に出ることを選択できるようになってきたのが最近の話。まずはそこまで遠くないところから始めたい……と思ったときに、ふとハンジローのことを思い出した。……ハンジロー行っちゃう?
というわけで、金曜日に有給休暇を取得し、秋の乗り放題パス(ざっくり説明するとJRの普通列車が7,850円で連続する3日間乗り放題になるという代物)を握りしめてほぼ朝一の列車でゆっくりのんびり中央本線で揺られつつ松本に向かった。都内在住の中央線ユーザとしてはたまに行き先に登場する「大月」や「甲府」の位置感覚がいまいちわかっていなかったのだが、今回の旅でなんとなくわかるくらいまでは成長できたのではないかと思う。まだまだ知らないことはたくさんある。

話がずれた。松本駅に着いて、駅至近の宿で荷物を預かってもらい、ふたたび松本駅から大糸線へ。ハンジローは穂高駅から徒歩20分とあったので軽い運動がてら歩き、少し空腹感もおぼえつつお店に着く。
香りや味にはそれぞれの記憶とでもいうものがある。今回いちばん驚いた、というか感動した、というか……ともかくそのことを自分の体験として感じたのは初めてだったかもしれない。ハンジローで修行した方が出した別の店にここ数年はよく通っているのだが、ハンジローに似ていると思っていたその店とも違う、どこか懐かしい香り、味。胸が一杯になりながら完食した。その後は松本に戻り、松本城を散策したり、信州蕎麦を食べたり、翌日にはもう一店行きたかったカレー屋さん(先日早稲田に復活したメーヤウという店があるが、その系列店……でいいのかな。〈メーヤウ信大前店〉です)に行ったりした。帰りは小淵沢駅まで出てからホリデー快速ビューやまなしに乗り、あっという間に(といっても二時間半くらいはかかる)終点の新宿まで。コンパクトで充実したひさしぶりの旅となった。日曜日の夜にびっくりするほど憂鬱になったのは内緒です。


Jazzie
スープカレー ハンジロー」のウェブサイトのURLを貼っておきます。http://hanjiro.jp
カレー以外に好きなものはなにかあるかな……と思って考えてみたのですが、スガキヤのみそ煮込みうどんの袋麺(https://sugakiya.co.jp/products/fukuro/soku_f_0096.html?id=0096)しか思いつきませんでした。これも自分の中ではある意味で懐かしい味に分類されるのですが、通販があることを知ってからたまに注文するようになり、あまり懐かしさとかは覚えないようになっています。

 

松本はまた行きたい。それこそ梅雨が開けたらちょうどいいんじゃないかな……カレーはすごく好きで、こうして食べ歩くくらいには。地方の美味しいカレー屋さんも常に探しているので、こんな美味しいところが地元にはある、と教えてくれる人には常に感謝を捧げていく所存です。新潟のスパイスカレーの名店、スパイスプッシャー164はそのなかでもかなり当たりだった。この店に行くために新潟再訪したいくらいには。

ちなみに、このとき帰りに乗ったホリデー快速ビューやまなしはこの年で運休となり、後継のお座敷やまなし満喫号が2021年は運行されるようだが、今のところあまり使い勝手がよくなさそう。寂しい。

約1ヶ月弱の備忘録(イエローページ vol.7〔2020/09/25〕)

健康診断を受けた。このコロナ禍のため、もともとは5月に設定されていたものが延期となり、8月下旬になったものだ。
当たり前だが、診断を受ければ結果がでる。いろいろと身体に不具合が出始める年頃なので、毎年結果については気が気じゃない。結果の封筒が自席に届いた日にはすぐ開封して、とりあえず中身を確かめることにしている。だいたいここ5年くらいのことだ。しかも今年は自粛期間中にあからさまに運動量が減った関係か、自覚症状としてあった体重増加に検査結果が裏付けされていた。
結果が届いたのは金曜日のことだった。職場の健康診断の日程はバラけているので、結果が出る日もひとそれぞれだ。早速開封して結果を確認していく……案の定コレステロールの値が悪い。それに関連していくつか注意を受けているが、まあ予想範囲内だ……と思ったあたりで普段何も引っかからない項目に目が止まった。

ある臓器(さすがにボカしてもいいよね……)に影があるらしい。至急再診して紹介書をもらい、さらなる検査を行うように、という趣旨のことが書かれていた。基本的に悲観的なものの見方をしがちであることは自覚しているが正直ほとんど予想していないところから鈍器で頭をフルスイングされたような衝撃。気がつくとGoogleで「(臓器名) 影」とか「(臓器名) 腫瘍」とか「(臓器名) 癌」とか検索して読んでいる自分がいた。これまでいつどのように向かい合うべきかと思いつつも、まだ少し先のことだろうと思っていた「みずからの死」に否応なく向き合わされる感覚。闇の中に際限なく落ちていくような良くない思考のスパイラルのなか、なんとか電話で翌月曜日の再診予約を取った。

精密検査をおこなう前段階ということは頭では理解しているが、正直週末はほとんど眠れず、死んだような顔で病院へと向かう。医者の言葉や表情にさらなるヒントはないかと注意を払っていたが、特に何も読み取ることはできず、まずはMRIを受けることに。検査についての確認をいくつか受けて、別病院(以降B病院とする)の予約を。「いつがいいですか?」という質問にそんなの早いほうがいいにきまってるよ! と身勝手に思いつつ「いつが空いていますか?」→「今日の14時か18時」という流れを経て、18時にB病院へと向かった。そこでは機械的MRIを受けるにあたっての禁則事項ピアスはだめだとかそういう類)を確認され、あっという間にMRIのなかへ。実は経験者なので検査自体は怖くなかった。輪切りにされて(比喩だ)撮影をすませ、結果が出るのは一週間後の月曜日となった。

実際、この一週間がもっともメンタルにダメージを受けていた。結論がわからないままに日常を送らないといけないストレスは予想より強く、やはり睡眠時間にその影響はあらわれた。自分の身体に異変があるのか、ないのか。あったとして、それはどのようなものなのか。ゆるやかに、それでも健康な人よりは圧倒的に早く死に向かうようなものなのか……いろいろな想いが頭をぐるぐるとする。夜中になると目が冴える。朝方、眠っていた自分に気づくが、圧倒的に睡眠時間が足りていない感覚がある。アルコールを飲まないのでわからないのだが、どこか酩酊しているようななかで一週間を過ごし、月曜日を迎えるにいたった。体調は最悪だった。
 
Jazzie
結論から言うと、MRIの結果、特に切迫した問題がある所見は見受けられなかった。コレステロール値の悪化が進行すると悪影響がおよぶ可能性があるようなので、食べ物と運動には気をつけて日々を送っていきたい。
 
良くも悪くもこの健康診断がこの一年弱を左右した。どうなったか。その結果についてはこのあとのイエローページでも書いたが、8キロほど体重を落とし、主治医にお褒めの言葉を頂戴した。さらに体重は落としていきたい。妙なストレスにならない程度に。

集え、けもの共の藪(イエローページ vol.6〔2020/08/25〕)

築年数が古いマンションに住んでいます。二年前くらいに台風が関東を直撃したのですが、そのときに各戸で窓のサッシの老朽化が進んでいることがわかり、マンション全体で改修を行うことになりました。というわけで、実際の工事前に実測調査をおこなうことになりました。もちろん部屋の中からも確認する必要があるので、立ち合いが必須。二名で訪れた調査員は手際よく窓を確認し、僕にはよくわからない専門用語を駆使してサッシの状態を確認します。ふと気づいたのですが、ふたりともしっかりとマスクをはめ、防護服を着用。ものすごく暑そうだったのでペットボトルのお茶を差し上げて持ち帰ってもらいました。せめてこれくらいは。

というわけで、少し早起きをして立ち合いをすませたので余裕があります。普段よりは遅い時間に朝ごはんを食べて、部屋の掃除をして、洗濯物を干す。それが終わったら食材の買い出しです。自宅近くのスーパーは最近ではお昼前が比較的空いているので、この時間に外出するようにしているのです。今日は茄子とピーマンが安かったのでひと袋ずつ、あとは豆腐と納豆、鶏のササミを買って帰宅しました。帰り際に七味唐辛子を買い忘れたことに気づきましたが、それくらいなら我慢しようかと。お昼ごはんをかんたんに済ませてシャワーを浴び、ようやく休日気分になりました。

この時期、あまり外に出ないようにしているせいか、自宅でできる趣味ばかりに時間を使っています。読書したり、音楽を聴いたり(CDを通販で買うことが増えました)、ゲームをしたり。そんななかで最近急に比重が増えたのはYouTubeを観ること。もともと漫才を観ることが好きなんですが、好きな芸人さんたちが意外とYouTubeチャンネルを開設しているのだな、と気づいてからはどんどん沼にハマっていきました。よゐこさらば青春の光かまいたち……。

最近のお気に入りはすゑひろがりずの「すゑひろがりず局番」。ゲーム実況にもチャレンジする彼らは大人気の「あつまれ どうぶつの森」にも手を出すのですが、そこはすゑひろがりずなので、狂言風実況なんですね……と、ここまで書いてそもそもすゑひろがりずがそれほど広く知られていない可能性に気づきましたが、そこは調べていただけたら嬉しいですし、チャンネルのURLを下に記しますのでぜひ見てみてください。ハマる人はハマるタイプだと思います、すゑひろがりず

最近はこんな休日を送っています。おわかりかと思いますがほとんど身体を動かしていません。先日健康診断があったのですが、もうてきめんに……みなまでいわせないでください。とりあえず運動です。そこからはじめます。

 

すゑひろがりず局番

https://www.youtube.com/channel/UC0vhOipAozD9bZcNy6CTpgQ

 

■【すゑひろがりず】あつまれどうぶつの森狂言風ゲーム実況してみた!【あつ森】#1

https://www.youtube.com/watch?v=3qcNqfxIRdY



Jazzie

ほかにハマっているのは猫動画。

「もちまる日記」https://www.youtube.com/channel/UCplhkHsYKxXjTde1lq8F-4w

「ねこほうチャンネル」https://www.youtube.com/user/derorinkuma

あたりを巡回しています。

 

いまやすゑひろがりず局番もあつ森も……。「もちまる日記」はあれよあれよという間に大人気チャンネルになり、100万人の登録者を数えて金の盾が贈呈されていました。写真集まで出すみたいで、そこまでいくと正直引いてしまう。日常が少しずつ戻ってくる中で、どうしてもYouTubeの優先順位は下がりがちです。

東京という憂鬱(イエローページ vol.5〔2020/07/25〕)

 東京に生まれ、育ってきた。誰もが知っているターミナル駅が自宅の最寄りだ。いわゆる「都市生活者」と自称しても差し支えないだろう。

 高校生くらいのころから、地元で一緒に育ってきた友人よりそれ以外の友人のほうが多くなってきた。住んでいる場所を訊かれたあげく、「あのあたりって人の住む場所あるんだ!」なんて無邪気に返されるとひそかに堪えることもあるし、いつしかそうしたたぐいの質問には曖昧な返答をするようになってしまった。「東京」は都会の象徴として日本人の意識下に存在している。そうした部分を否定するつもりはまったくないんだけど、一方では確かにそこに暮らす人がいる。非現実と現実との集合体が東京なんだとあらためて思う。

 人生の節目において、強引にでも実家から離れたところの大学に通ったり、就職先を地方に決めていたらどうなっていただろう、といまとなっては逃避のように考えることもある。もう少しだけ東京を「田舎」として相対化させることができたのかもしれない。

 新型コロナ禍のなかで、田舎に帰るより、そのことによってあなたの大切な人たちに感染させてしまうリスクを避けよう、という趣旨の呼びかけがなされている。いまもまだ、この呼びかけは多かれ少なかれ存在する。それらを目にしたり耳にしたりするたびに、どうしても少しだけ違和感を感じてしまう。東京に生まれ育った自分は、いったいどうしたらいいんだろう。

 最近では東京で新型コロナウィルスの感染者がふたたび増加傾向にあることから、政府が主導しておこなう旅行関連のキャンペーンから東京発着のものは除外され、宿泊予約においても東京の客は断られることがあると知った。

 帰る場所はどこにもない。

 行く場所もどこにもない。

 それでも東京に暮らし続けていくのだろうといまは考えている。

 

Jazzie

こんなことを書いているが、東京が大好きだ。

 

その後もこの類の想いは抱えたまま生きている。まあこうしたことを思えるのも運によるものなので、このまま付き合っていくのではないかと。何度もいうが、東京が大好きだ。苦手なのは東京を安易なステロタイプに当てはめようとする言説。

うたいつづけるおばけたち/2020年読んで印象深かった文芸作品

「今年読んで良かった/印象深かった文芸作品を紹介する」というお題を見かけて、すぐに参加したいと思ったのはくどうれいん『うたうおばけ』のことを思い出したからだった。

『うたうおばけ』くどうれいん|エッセイ・評論|書籍|書肆侃侃房

www.kankanbou.com

新型コロナウィルスのことなしには、誰しも今年を振り返ることなどできないだろう。僕ももちろんそうだ。なぜこんなことを書き出したかというと、版元に『うたうおばけ』の購入申し込みを直接メールでしたのが、緊急事態宣言が出るか出ないかのころ(申込みのメールを確認したら4月9日)だったからだ。結果的に『うたうおばけ』は僕がこの大変な一年を乗り越える心の助けになってくれるような大切なアイテムになってくれたのだった。

『わたしを空腹にしないほうがいい』(食にまつわるエッセイ集。お腹が空いているときは読まないようにしている)ですっかりファンになったくどうれいんさんの新しい文章が連載されていることを知ってから、版元・書肆侃侃房のnote「web侃づめ」の更新がなによりの楽しみとなっていたし、何度も何度も読み返していたので、まずは書籍化にあたり新規収録されたものから読み始めたことを思い出す。

ともかく当時世の中に漂っていたなんともいえない雰囲気の中で、『うたうおばけ』を読んでいるあいだだけは少しだけ救われるような気がしていた。読むたびにおばけたちがうたっているのを感じられるようで。何度も何度も読んだ。どの篇も好きになれる、稀有なエッセイ集だった。誰に届くかわからないし、ほとんど届くことのないものだと思っているが、この作品を、くどうれいんさんのことを、知らない人にすこしでも届いてほしいと思いながら書いている。

ちなみに僕のフェイヴァリットは「終電2本前の雷鳴」だ。これは「web侃づめ」にも掲載されたもので、盛岡駅でくどうさんがみかけた女性、そして男性、そのふたりについて書かれたもの。書籍のページ数にして7ページ。だけど僕の中には戦慄にも似たようなたしかな感情が刻みつけられたのだった。そう、それはまさに雷に打たれたかのような――。本書の帯にもうたわれている「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」をふと思い返してしまう。

note.com

2020年、これまでの人生がまるで夢だったかのように僕らの暮らしは一変してしまった。これからの生活がどのようになっていくのかもよくわからない。それでもなんとかなるんじゃないだろうか、と本書を読みながら考えている。うたいつづけるおばけたちとともに。

僕にとっての『うたうおばけ』は、こんな一冊だった。

私的在宅勤務録(イエローページ vol.4〔2020/06/25〕)

本や雑誌を作る仕事をしている。編集職ではなく、文字通り物体としての本を作る部署。これといって不満はないが、今年になってなんとなく新しいことをはじめたいと思っていた。「イエロページに参加させてもらったのもその一環だったんだけど、ルーチンに落ち着きがちな日々の仕事においてもなにか新しいことをしてみたい。年齢を重ね、与えられたポジションに満足しているかと問われたら、100%肯定できなかったのかもしれない。
だから「本のカバーデザインをやってみない? あと帯も」とこれまでにやったことのない仕事への参加を打診されたとき、ふたつ返事で引き受けたのだろう。作業自体は想像したとおりとても刺激的。関連部署の同僚ふたりをさまざまな局面で質問攻めにして迷惑をかけどおしだったが、そのおかげで最後まで気を張った状態で駆け抜けられた。

もちろんただ平坦な道のりだったわけではない。最大の障壁はこの情勢下において、職場でもはじまっていたリモートワークだった(そもそもこの仕事を引き受けたとき、新型コロナウイルスの流行はまだ本格的ではなかった)。自宅にはもちろんPCがあるが、壊れたさいに復旧を後回しにしていたため、職場から貸与されたノートPCでの作業を余儀なくされていた(つまり自業自得)。速度面でも、(ノートPCなので仕方がないが)モニタサイズの小ささでも悩まされた。自宅にあった32インチのモニタにノートPCを接続してからは大幅にストレスが軽減されることになるのだが、これまでどおり職場で業務にあたっていればもう少しスムーズだったかもしれない。
担当編集者のアイディアのいくつかにはまったく思いもよらないようなものがあり、そしてそれが全体をさらに良い方向に導いてくれた。もちろん自分でもいくつかアイディアを提出し、いくつかは取り入れられ、いくつかは検討の末見送られた。
こうして、はじめてのカバーデザインは少しずつ形になっていく。ラフを作り、デザイン案が固まり、入稿して校正紙が出力される。どの段階においてもワクワクした。見本が職場に届いた日の高揚感はいまでも忘れがたい。ツイッターなどで検索するに、さいわいにもある程度受け入れられているようで、正直ホッとしている。
新型コロナウイルスの流行にともなう自粛期間をどのように過ごしていたか。いまそういう話題になることが多いが、自分にとって、その答えはこういうことだった。
 
 

Jazzie
ほかにもいろいろな仕事をしている。データとしての本を作る仕事も。

 

その後、このタイトルは著者のひさしぶりの重版作品となり(著者が自らツイートしていたから当たらずとも遠からずだろう)、ある著名装幀家が新聞で持っている連載で取り上げていただくという僥倖にも恵まれた。少しは自信に思ってもいいのかもしれない。

きっかけ(イエローページ vol.3〔2020/05/25〕)

手紙を書くと自分のなかでなにかがリセットされるような感覚があるな、と気づいたのは、お寺で修行をしている友人に何通目かの手紙を書いていたときだった。大阪出身で、後に博多に住んでいた彼と仲良くなったきっかけはうまく思い出せない。おそらく共通の趣味を通じて知り合い、たまたま波長が合ったのか、東京と博多という距離がありながらちょくちょくお互いの地を訪れて、ともに時間を過ごした。

多分大名の居酒屋だったかな、それとも月島でもんじゃを食べたとき? 彼はふと「修行するんだ。3年弱くらい」と口にした。修行? 一瞬なにを言っているかわからなかった僕は、それでも彼の実家がお寺であること、彼が長男であることを思い出してなんとか自分を納得させた。「携帯とか没収されるらしいんだよ」「だから手紙を書いてほしい」「こちらからも書けるはず」そんなわけでそこまで頻繁ではないものの、僕は一ヶ月から一ヶ月半に一度くらいのペースで手紙を書くようになった。返事のような形で、彼からも手紙が届く。パソコンやスマートフォンがここまで発達した世のなかで、少しだけ取り残されたような、それでもなにか悪くないような感じ。手紙を書いているあいだは、相手のこと、相手にまつわることに思考が集約されていく。そのことが自分のなかでなにかをリセットしてくれる。いろいろなひととつながって、いろいろなものに取り囲まれて、いろいろなことを考える自分が、少しのあいだ解き放たれて、手紙を届けたい相手のことだけを考えるシンプルな心の動き。

お寺の友人は8月に一週間ほど下山することになったようで、先日届いた新しい手紙には日程が本決まりになったらまたここで伝えると書いてあった。元気にしているんだろうか。また返事を書こうと思う。
 
Prof.好きなものはその時々でかわる。いつ訊かれてもあまりかわらないものはカレー。最近は無印良品のカレー。話題になったグリーンも美味しかったけれど、3種の唐辛子とチキンが好みだった。
 
 
この友人、どうも身体を壊したようで、途中で下山する可能性が高いようだ。先日もらった手紙にそうあった。8月に少し会えるかもしれない。本人がいちばん悔しいだろうから、せめて話したいことはすべて聞いて、そのまま受け止めたい。