東京という憂鬱(イエローページ vol.5〔2020/07/25〕)

 東京に生まれ、育ってきた。誰もが知っているターミナル駅が自宅の最寄りだ。いわゆる「都市生活者」と自称しても差し支えないだろう。

 高校生くらいのころから、地元で一緒に育ってきた友人よりそれ以外の友人のほうが多くなってきた。住んでいる場所を訊かれたあげく、「あのあたりって人の住む場所あるんだ!」なんて無邪気に返されるとひそかに堪えることもあるし、いつしかそうしたたぐいの質問には曖昧な返答をするようになってしまった。「東京」は都会の象徴として日本人の意識下に存在している。そうした部分を否定するつもりはまったくないんだけど、一方では確かにそこに暮らす人がいる。非現実と現実との集合体が東京なんだとあらためて思う。

 人生の節目において、強引にでも実家から離れたところの大学に通ったり、就職先を地方に決めていたらどうなっていただろう、といまとなっては逃避のように考えることもある。もう少しだけ東京を「田舎」として相対化させることができたのかもしれない。

 新型コロナ禍のなかで、田舎に帰るより、そのことによってあなたの大切な人たちに感染させてしまうリスクを避けよう、という趣旨の呼びかけがなされている。いまもまだ、この呼びかけは多かれ少なかれ存在する。それらを目にしたり耳にしたりするたびに、どうしても少しだけ違和感を感じてしまう。東京に生まれ育った自分は、いったいどうしたらいいんだろう。

 最近では東京で新型コロナウィルスの感染者がふたたび増加傾向にあることから、政府が主導しておこなう旅行関連のキャンペーンから東京発着のものは除外され、宿泊予約においても東京の客は断られることがあると知った。

 帰る場所はどこにもない。

 行く場所もどこにもない。

 それでも東京に暮らし続けていくのだろうといまは考えている。

 

Jazzie

こんなことを書いているが、東京が大好きだ。

 

その後もこの類の想いは抱えたまま生きている。まあこうしたことを思えるのも運によるものなので、このまま付き合っていくのではないかと。何度もいうが、東京が大好きだ。苦手なのは東京を安易なステロタイプに当てはめようとする言説。